| 私と『高知』 | |||
高知大好き人間 |
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私は、自治省から昭和56年に高知県財政課長として着任し、以来現在まで途中6年抜けていますが、足かけ約20年間家族とともに高知に暮らし、高知の人と自然が大好きで、高知の発展を願いつつ、楽しく過ごさせていただいています。高知に暮らし始めてすぐ大正町の「ふるさとの森」オーナー募集があり、いち早く応募し、私の大切な木を育てていただいています。子供達が小さい頃は、休日になると県下各地を家族そろって遊びに行くのが楽しみでした。特に渓谷、山、海岸が大好きで、毎年夏休みには、必ず、本川村のしらさ山荘に泊まって瓶ヶ森に登るのが恒例でした。![]() 家族は、妻(眞理子)、長女(恵理子)、長男(大樹)、二男(直樹)ですが、みんな高知大好き人間ばかりです。平成元年、高知県総務部長の任務を終え、自治省に転勤する際に、当時土佐女子中学2年の長女は小学生時代にすでに四回も転校していたこともあり、「わたし一人でも高知に残りたい。転校はもういやや」と言い張ったため、寮に入れて長女だけ高知に残し、あとの二人の息子はまだ小学生でしたので、いっしょに東京に転校させました。その翌年、長男が東京の小学校を卒業して中学校に進学する時期になると、長男も「ぼくもお姉ちゃんのいる高知に帰りたい」と言い出し、寮のある高知学芸中学を受けさせて高知に戻ることとなりました。こうなると、その二年後、二男も東京の小学校を卒業する際に「お姉ちゃんやお兄ちゃんのように高知の中学校に行きたい」と主張し、とうとう親二人を東京に残して子供三人ともそれぞれ寮に入って高知の学校に通うようになりました。 平成6年、高知市長選のお話があったときは、迷い悩みましたが、妻眞理子から、「お父さん、帰ろうよ、子供達が待っている大好きな高知に」の一言で意を固めました。早速、針木に中古の住宅を買い求め、高知永住を決意しました。住宅は築後40年を過ぎていましたので、その後平成12年には全額ローンを組んで県産の間伐材をふんだんに使った木造住宅に建て替えをして、木の香りのする終の棲家を確保することができました。その際、山口県の実家から、幼い頃からの思い出のあるなつかしい欄間を取り外し、新居にとりつけることで、名実ともにふるさとは高知となりました。 高知への恩返しのつもりで、もっと住みやすい、誇りの持てる高知県づくりのために、微力を尽くしたい気持ちでいっぱいです。 |
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