一絃琴『秋の演奏会』を行いました。くわしくはこちらの日記の記事で…


長さ約110cm、幅約11cmの桐製の胴に1本の絃を張った琴です。
左手中指にはめた芦管(ろかん)と呼ばれる爪で胴に記された譜の上の絃を押さえ、同じく芦管をはめた右手人さし指で絃右端を弾き音を出します。
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歴史と伝説の入りまじった伝え話によると、平安時代に在原業平の兄歌人行平が兵庫の須磨に左遷された時、浜辺に打ち上げられた舟板の一枚をひろって小屋に持ち帰り,冠の紐を取り付け、それを琴にして都を偲びつつ、つま弾いたのが始まりと伝えられています。
以来,一絃琴は「須磨琴」といわれ、貴重な楽器とされていました。

江戸時代には、河内国駒谷の僧覚峰が須磨琴の復興を思い立ち、『枯野』『吉野』『君が代』の三曲を一絃琴に和して歌ったといいます。
覚峰は、一絃琴中興の祖と呼ばれています。

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土佐の一絃琴は,幕末に京都土佐藩邸に勤務した門田宇平(うへい)が正親家(おうぎまちけ)の一絃琴家元師範役の真鍋豊平(とよひら)について学び、土佐に持ち帰ったことに始まります。

宇平は、土佐に戻ってからは高知城下に近い小高坂村(現在の高知市西町)に居をかまえ,一絃琴の教授を始めました。その後、宮尾登美子原作「一絃の琴」のモデルとなったといわれる島田勝子,その娘寿子、勝子の弟子秋沢久寿栄(くすえ)へと伝えられ,秋沢は昭和25年に「正曲一絃琴白鷺会」を作りました。

その後昭和44年には高知県無形民俗文化財に指定され、正曲一絃琴白鷺会は、平成12年には高知県文化賞を、平成15年には文部科学大臣表彰を受賞しました。

現在の正曲一絃琴白鷺会(近森律子会長)は、春と秋に定期演奏会を開くとともに、ほぼ毎週火曜日・木曜日の午前中と第三日曜日の午前中に高知市寺田寅彦記念館(高知市小津町4−5)で稽古を行っています。
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「コーロリーン レン チンチンチン レン…」

秋の虫の音かなと思わすこの調べ。実は、一絃琴「白鷺」(詩 棟方志功、曲 秋沢久寿栄)の最初の一節の一絃琴独特の弾き方の表現なのです。平成12年のことでした。その年、NHK連続テレビドラマになった「一絃の琴」(宮尾登美子原作)は、全国に大きな反響を呼びました。5月、大川筋武家屋敷での県指定無形民俗文化財保持団体「正曲一絃琴白鷺会」の一絃琴演奏会では、身近に一絃琴の美しい音色に触れることができ、その上、実際に一絃琴の弾き方まで教えていただきました。

私も妻とともに初挑戦してみました。私は、若かりし頃ギタリストであり、ちょっぴり三味線の経験もありましたので、自信を持って、人さし指にはめた芦管で絃をはじいてみました。「ズズ ヂン」。ところが、そばの妻がはじく音は、「チンッ」。「こんなはずじゃなかったがやけんど…」と、焦ってしばらく繰り返してはじいてみますが、やっぱりわたしのは「ズズ ヂン」で、妻のは澄んだ力強い「チンッ」。得意気に、にこにこの妻。

それからでした。妻は「わたし、一絃琴をやりたい。やるがやき」というわけで、わが家にもあのテレビドラマの苗さんが誕生したのです。花柄の布袋に包んだ一絃琴を抱きかかえ、喜々としていそいそお習いに出掛けて行き、家に帰って来ると「チレチチ コーロリン…」です。

しばらくは、私も市政の方が忙しくて、妻が家で練習するのを聞くくらいでしたが、政治の道から離れた頃、ふっと「一絃琴をやってみようかな」という気持ちが湧いてきて、それから妻に手ほどきを受け、そのうち、正式に「正曲一絃琴白鷺会」に入門し、姉弟子の妻と共に、毎週火曜日には寺田寅彦邸で先生にお習いすることになりました。

夜な夜な我が家では妻と一緒に「チーン レチン チレチレ チーンシャン」です。共通の趣味ができました。平成16年から始めて、今や春秋年に2度の定期演奏会、各所の催しへアトラクションでの演奏などに演奏者の一員として参加できるまでになりました。

最近、龍馬の兄権平さんも乙女姉やも一絃琴を楽しんでいたということを知り、ひょっとして龍馬も…と思うと、すっかりとりこになっています。たった1本の絃から奏でられる繊細優雅な調べ。シンプルであるがゆえに、よけいに奥の深さを感じるこの頃です。
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