『春風秋霜』■バックナンバー■


まえがき

晋作との再会
よさこい力
奥山保全
朝の日課
よさこい親善大使
なんでやねん
が〜ん!!
世界まんが甲子園
感動した!!
不思議なパワー
健康握手
まちづくりひとりひとやく
一緒にやろうや
市歌を歌おう!
先の先を見る
詩のボクシング
フクちゃん蘇る
まんがバンザイ!
脱藩ゆかりの道
フクちゃん永遠に
心の構造改革
ゴボレンジャー
よさこいキャンドルサービス
体験学習のすすめ
さわやかな感動
あっぱれ時代絵巻
夢を乗せたからくり時計
三がいくつ?
ビタミンI(愛)
高知城は語る
メダコイ
「ズズ ヂン」と「チンッ」
「心、技、体」
よさこい五変化
子育て王国・宅老王国

まえがき

私は、「座右の銘は?」と聞かれると、「春風秋霜です」と答えます。正確には、「春風をもって人に接し、秋霜をもって自らを慎む」ということばです。

私の母は信心深く、私の小さい頃、よくお寺にお説教を聞きに行っては、聞いてきた話をおもしろおかしく私たち子どもに受け売り説教をしてくれました。それが結構楽しみで、興味深く聞いていました。たくさん聞いた話の中でも格言めいたことばが妙に幼い耳に残って、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とかこの「春風秋霜」などが、それ以降40年にわたって私の人生訓となりバックボーンとなっています。
「春の風のようにさわやかに人に接し、秋の霜のように厳しく自らを戒める」という意味合いでしょうが、このことばが、江戸時代の儒学者佐藤一斎のことばだというのは、ほんの数年前ある人から教わったことです。親が子に伝えることばのありがたさを今になっってしみじみ感じていますが、子育ても終わった自分は果たして子に何が伝えられたかと振り返ると、自分ではどうにも思い当たらないのが、残念です。

高知市広報誌のメイヤーズコラム(市長随筆)の表題「春風秋霜」は、このことばからつけたものです。この欄を通じて、市民の皆さんに市政や世の中、生活への私のいろいろな思いを、時に深刻に、時に愉快に、時に感動的に語り伝えたいと、毎月がんばって綴っています。
すでに成人した我が子にも遅ればせながら思いを伝えるべく、土佐弁と「受けの程度」の事前チェックを兼ねて原稿段階で読ませています。今、このコラムが静かな人気を呼んでいます。「毎月の市の広報誌を見るのが楽しみ」とか「広報誌が来ると真っ先に、読みます」とか、ちょっと困ったことには、「他の記事を読まなくてもそこだけは読みます」という市民の皆さんからのお話や読んだ後の感想がよく届けられます。また、「バックナンバーがほしい」とか「スクラップしています」という方もおられるようですので、この際、多くの市民の皆さんからのご提案もあり、平成九年十二月以降のものをまとめ、「春風秋霜」として発刊することとしました。春風秋霜ファンの皆様には、いつもご愛読ありがとうございます。これからも皆様のお支えを励みに、市政や市民の生活を見つめ、「高知をよくしたい」「市民に幸せを感じてほしい」という私の熱い思いを伝えたいと決意を新たにしています。

私は、春風秋霜の心は、私の心酔するわれらが坂本龍馬の生きざまに通ずるものがあると感じています。あの、人にさわやかな親しみを感じさせ、心が太平洋のごとく広く、ウイットに富み人の心をしっかりとらえる「出会いの達人」、私欲を入れずその身を賭して日本の夜明けのために奔走する姿。私自身もかくありたいと願い、折に触れ自ら龍馬のいでたちをして、おそれも知らず「龍馬市長」と名乗り、自己プレッシャーをかけています。

平成幕末といわれる政治、経済とも混沌とした閉塞状態の今日、龍馬の再来はかなわずとも、龍馬の心に学ぶことで、道が開けていけそうに思います。私も、市政運営の厳しい場面に突き当たるたび、「こんな時、龍馬だったらどうしただろう」と自問自答しつつ、龍馬の知恵を探り、情熱をかきたてながら、龍馬に支えられて日々の市政に携わっています。

高知市は、このほど、龍馬の先見性、ロマン、人間愛、改革の情熱、経営センスに学び、「龍馬の心が息づくまち・龍馬都市」の構築を目指すことを総合計画の理念に位置づけました。「いっそのこと『高知市』を『龍馬市』に改名したら」という声もちらほら聞かれますが、そんな機運も盛り上がることを期待しながら、この本をお届けします。

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晋作との再会



「高杉さん、久しぶりやったのお。」「龍馬殿か、会いたかったのお。」
136年ぶりに、下関市長扮する高杉晋作と、高知市長扮する龍馬が、長州・下関で再会を果たすことができました。

高杉晋作と坂本龍馬のモニュメントが下関市に完成し、除幕式が行われ、礼を尽くして龍馬のフル装備(紋付き、袴、二本差し、靴、かつら、印籠)で出席したところ、なんと高杉晋作が待ち受けていたではないですか。こちらもなりきっていたものですから、晋作こと江島下関市長に思わず「高杉さん」と声をかけてしまいました。

龍馬は、文久2年(1862年))、日本の行く末を憂え、決死の覚悟で土佐藩を脱藩し、最初に訪れたのが下関の廻船問屋、志士たちの拠点となっていた白石正一郎邸でした。その後も、龍馬と下関の縁は深く、その地で、薩長同盟めざし桂小五郎や高杉晋作らと回天の策を練り、後に寺田屋で襲われた際の働きで深い信頼を寄せた三吉慎蔵と出会い、第2次長州征伐での高杉らの小倉攻めを桜島丸率いて参加し、慶応3年には下関伊藤家を居住地として妻お龍を預け活動拠点としました。そして近江屋での龍馬の悲報をお龍が聞いたのも下関の地だったという不思議な縁。

奇兵隊を結成した高杉晋作は、龍馬が「天下之人物」と評したほどの先見性、才覚、勇気、行動力の持ち主で、晋作が上海みやげに龍馬に贈ったピストルこそ寺田屋で龍馬の命を救ったのでした。共に維新の夜明けを見ることなく、同じ慶応3年(1867年)志半ばで短い生涯を閉じたのです。

モニュメントの完成で、長州と土佐、下関と高知の絆が形となり、平成幕末の今、龍馬と晋作の思いを体し、土長同盟よろしくがっちり握手で誓い合い、「日本を今一度洗濯致し申し候」。
(2003・10)
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よさこい力

土方歳三率いる新選組来たる。女性隊士、子供隊士も加わり、手に手に鳴子を持って、隊列組んで土佐入りです。なんの、龍馬も負けちょらんぜよ。国内外から自称龍馬、おりょう、乙女姉やもかけつけ「よっちょれよ!」。土方の出身地・東京都日野市からの「日野新選組」とおなじみ「龍馬連」が、140年の時を越えてよさこい祭りで相まみえました。「おー土方」「やー龍馬」、立場は違っても「この国をよくしたい」という熱き思いを胸に奔走した2人が、ついに恩しゅうを超え固い握手を交わした・・だけでなく、「誠の心を貫いた歳三、龍馬を忘れまい」の歌に合わせ、いっしょに鳴子を持って踊りまくったというドラマチックな結末。「よさこい」の力です。

よさこいピック再現の「養護学校合同チームき・ら・り」:衣装は小規模作業所製作。「夢来い、夢来い」のかけ声、はじけるように踊る子供たち。輝きです。

今年2回目出場の南海中学校「Minami風」:よさこいを通じて学校に行けるようになった子、生徒会リーダーになった子も。先輩からの沢山の差し入れ、地域からの要望に応え、初踊りは地域の商店街で。あったかいですね。

初出場の「旭中学校」:真っ赤な衣装が似合うすっかり大人の表現力。何でも「自分たちで」の気構えがえらいっ。 

初出場で入賞、全国大会出場の快挙を成し遂げた「高知商業高校」:「鵬程万里の旗の下」の校歌を折り込んでの激しい踊りは圧巻。よさこい教育力です。
 出場50回皆勤の「高知市役所踊り子隊」:パンパカパーン、本祭入賞、ペギー葉山賞受賞。こだわり続けた正調よさこい鳴子踊りは、よさこいの原点、いぶし銀の輝き、ほっとする一服の清涼剤。

元気パワーの源「よさこい力」が、今月7日「よさこい甲子園」で新しい歴史の第一歩を踏み出します。 
(2003・9)
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奥山保全

それは、ある自然保護団体の代表の方のお話。久しぶりの感動、衝撃でした。

四国では野生のツキノワグマは16頭、絶滅寸前だそうです。その問題の大きさが、私にはピンときませんでした。

その後ビデオを見せられました。里に下りてきてハウスの農作物を荒らす小熊が多くの大人に追いかけ回され、とうとう射殺されるという場面でした。これを見ると熊も可哀想だけど、でも熊の方が悪いと思ってしまいます。しかし、なぜ熊が里に出てくるのかということを考えなければいけないというのです。

こうして殺される熊のお腹の中は大抵空っぽだというのです。熊は本質的にベジタリアン(菜食主義)で、人間を襲うために里に下りてくるのではなく、山に実のなる木がなくなって、本来臆病なのに、お腹をすかしてしかたなく食べ物を求めて里に下りてくるのだそうです。奥山まで杉、檜の針葉樹の人工林で埋め尽くしてしまった結果だというのです。
「鳥のいない森、魚のいない川」は自然破壊への警鐘。自然は多様な生物で支えられているのです。「森の動物が里に出没、絶滅の危機、川の水位低下、山の崩壊」これらは、どうも人間自ら広葉樹を中心とした自然林を破壊してきたことが原因だというのです。

最近、やはり里に出てくる猪、鹿、狸、カラスなども、有害鳥獣として退治する方法が議論されゆうけんど、どうも有害にしたがは、人間自身ながやのに、身勝手に動物が悪いときめつけちゅうがやないろか。ある所では、奥山に実のなるクヌギ、シバグリ、コナラなどを植林してから、動物が里に出てこなくなったとか。

ある中学生の「熊が可哀想」の問題提起が、「山に広葉樹を植えよう」の大きな自然保護運動に発展しています。動物が滅びる森は、人間も滅ぼす。熊さんごめんなさい。里山保全そして奥山保全。
(2003・8)
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朝の日課

朝5時半、裏山の小鳥のさえずり(ときにカラスの鳴き声)で目が覚めると、愛犬ウイリー(ウーちゃん)の散歩です。

散歩コースは概ね3種類あって、その日のウーちゃんの気の向くまま。30分の散歩の間、大抵5匹の犬と出会います。ウイリーの方が果敢にも歯をむき出して吠えかける犬と、逆にけたたましく吠えてくる犬と全然無反応の犬と様々なのがおもしろい。愛犬ウイリーは、足が短い(コーギー犬)くせに(?)吠え声は勇ましく結構頼もしい。しかし、いつぞや離し飼いになっていた犬に大事なお尻をこじゃんと噛まれて以来、その犬の家の前だけは、急に走り過ぎてから遠吠えするのが情けない。

10歳になってから、妙に老化現象が出てきて、散歩途中でへばって道路上に寝ころんで動かなくなります。ハーハー吐く息が少し臭いのは歯槽膿漏らしい。そういえば、先日大好物のミルク棒を歯にくっつけてもがいていたのを、親切にとってやったら、いっしょにポロっと歯が抜けたのにはびっくり。歯磨き習慣をしつけておけばと後悔しています。
 なかなか動かない時は、ウーちゃんの覚えているあることばを言ってやると、キっと耳をそば立て、へんしも歩き始めます。そのことばとは、大好きな「おかあさんだよ!」と、大嫌いな「かみなりゴロゴロ!」。

散歩の後は、ここ20年間欠かしたことのないラジオ体操。私の場合、若いですから、運動量を2倍にするため、体操のお兄さんの「イチ・ニ」のかけ声の間に通常の2倍の早さで手足を2倍ビュンビュン動かします。首の体操も2倍ですので、時に目が回ります。

玄関先を掃いて、プランターの花と庭の草木に水をやって、おいしい朝ご飯。こんな平和な朝がその日のエネルギーです。よーし、きょうもがんばるぞ!
(2003・7)
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よさこい親善大使

「ヨッチョレヨ・・高知の城下に来てみいや じんまもばんばもよう踊る・・ 」
「えーっ!あの歌声、都はるみさんなが?」

そうなんです。正調踊りによく使われる「よさこい鳴子踊り」の曲のあの澄みきった元気な歌声こそ都はるみさんなのです。昭和40年、都はるみさんがデビュー翌年、レコーディングしたものを今に至るまでよさこいの原点の曲として、高知はもちろん全国のよさこい人がその歌声に合わせて踊っているのです。まさによさこいは、都はるみさんの歌声で育てられてきたとも言えます。

東京日生劇場での「よさこい親善大使」認定証授与記者会見場は、黒山(?)の記者、カメラの放列。あの歌謡界の大御所、憧れの都はるみさんと並んでの会見です。さすがの「よさこい市長」も緊張して顔がこわばっちょった。

都はるみさんが嬉しそうに語る一言一言が、歌手としての喜びにあふれ、歌手生活40周年の重みを感じました。 「確か私が16歳の時だったと思います。市川昭介先生のご指導で歌ったのを思い出します。あれから40年間、全国で歌い継がれているなんて嬉しい。歌は歌手のものではないんですね。歌っててよかった、歌手になってよかったと思います。」

「よさこい祭りは、初めて。この夏が楽しみです。鳴子って(カチャカチャ鳴らしながら)フラメンコみたい。私って元気がとりえだし、はるみの歌を聞いて元気がでたという人が多いから、祭りが一番似合ってるんじゃないかしら」

「高知の印象?やっぱり食べ物ね。かつお、じゃこ天、そうそう、はし拳も」

7月5日には、高知で記念コンサート。舞台で都はるみさんの生の歌声で踊るよさこいが見もの。8月11日よさこい本番で、はるみさんに花メダルをかけてもらおう。皆こじゃんと頑張って踊りや。  
(2003・6)
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なんでやねん

「土佐橋の高架遊歩道ってなんで必要なが?」
「はりまや橋周辺には観光バス駐車場がないから、素通り観光になっちゅうろう。空港バスや長距離バスで来た観光客も得月楼前で降りたら、信号待って電車通りを渡ってはりまや橋へ行きゆうろう。ほんでよ、土佐橋に観光バス駐車場と空港バスなんかの停留所も整備して、そこへ着いたら、まずエレベーターをつけるようになっちゅうき、それで遊歩道に上がってもろうて、上では楽しいまんがキャラクターなんかがお出迎え、ちょっとベンチに座って休んでもえい。そのまんま「かるぽーと」の2階に渡って、エスカレーターで「横山隆一記念まんが館」もえい。リニューアルした「縁結びの橋」はりまや橋もからくり時計も遊歩道からエレベーターでスッと行ける。日本初の木造アーケードから商店街へ、日曜市へ、最近できた四国唯一の直営ブランド専門店にも便利やから、土佐橋を基点に観光客にとっては、こりゃあ半日はゆっくり楽しめる思うよ。ばらばらの観光資源をしっかり有機的に結びつけて観光客に滞在してもらう仕掛けが土佐橋ぜ。もちろん、年間63万人の「かるぽーと」利用者にとっても、はりまや橋方面から信号待たずにエレベーターで遊歩道に上がりゃあ、「かるぽーと」2階のメイン入り口までそのまんま行けるき、何回も信号待つによーばんのがまっこと助かる。」

「市も金がないのに、えいかよ?」「それよ、ほんで経済波及効果の大きい使い方をせんならん。観光客にちょっとでも滞在してもろうて、お金を落としてもろうたら回り回って市全体がうるおうわけよ。なんにもせんかったら、なんちゃあない。どころか衰退する一方よ。こんなんつくったらもっと効果上がるよというロマンあふれる提案がほしいもんよね。」
(2003・5)
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が〜ん!!

「宮崎は〜きょうも〜雨〜だった・・・」

カラオケでは、私は決まってこの替え歌でした。ダイエー関係者もいっしょに歌っていたこともあったのに・・。

にもかかわらず、その日はやってきたのです。
2月28日のその日の前日、球団側から「明日オーナーが大事な用件で市長にお会いしたい」との申し入れ。妙に声の調子が暗い。いや〜な予感。ひょっとして・・いやそんなことはない。しかし、もし・・だったら・・。

そしてその日。『ダイエーは宮崎にキャンプを移します。日本一に育てていただいた高知のご恩は忘れません・・』(が〜ん!!)「なぜ、どうしてですか?高知に足らないところがあるのだったら言って下さい。」『高知に不満があるわけではありません。ダイエーは九州の球団として、九州で足元を固めて大きく飛躍したいのです。苦渋の選択なんです。』・・・

記者会見のやりとりは、冷静に対応したつもりでしたが、怒りと悔しさと絶望感で、とうとう生来ゆるめの涙腺が・・。つい3日前のキャンプ終了の見送りの際には、王監督と堅い握手もし、声を張り上げ「福岡ダイエーホークスばんざ〜い!」と三唱して送ったばかりなのに・・。何度も通った東部球場、福岡ドーム。王監督・コーチとのなごやかな親善試合・・・。走馬燈のように、ダイエーとの楽しかった日々が脳裏を駆け巡る。信じられない。

けんど、こんなことにくじけたらいかんぜよ。よ〜しっ、リベンジだっ。ジャイアンツにアタック。ニューヨークヤンキースでもえいか。

もし、今シーズンダイエーが日本一になったら、ひょっとして「やっぱり高知がいい」ということになるかも。度量の大きさで、ダイエーを応援しよう!けんどくやしい。  
(2003・4)
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世界まんが甲子園

国際漫画フェスティバルでにぎわうフランス・アングレーム市は、街のあちこちに漫画パビリオンが立ち並び、公共施設の壁には大きな漫画壁画。最近できた「想像館」の漫画自然博物館コーナーには、スヌーピーや101匹わんちゃん、ターザンのジャングルとビルのジャングル・・・、人類博物館コーナーには、数々の漫画ヒーロー・・・。ユーモアセンスのあふれる不思議な世界でした。

このたびアングレーム市長の発案で、漫画による街おこしに取り組んでいる世界の都市が連携する「国際漫画都市ネットワーク」の協定が結ばれました。アングレーム市(フランス)、ブラッセル市(ベルギー)、シャルルロア市(ベルギー)、アマドラ市(ポルトガル)、ルカ市(イタリア)とわが高知市の六都市に、近くケベック市(カナダ)も加わるということです。

「国際漫画都市ネットワークの発想は、昨年漫画館のオープン行事に招かれて高知市を訪問したのがきっかけでした。」と挨拶されたアングレーム市のモテ市長が文字通りこじゃんとハンサムに見えました。オオ、メルシ。

「各国の漫画コンテストに『ネットワーク都市賞』をつくろう。財源はEUから補助をもらおう。受賞者には、副賞で他のネットワーク都市を訪問してもらおう。ネットワーク都市共同のホームページを立ち上げたらどうか。ヨーロッパ各国に漫画列車を走らせるのもおもしろい。」
 次々と各都市の間でアイディアが出てきます。高知の「まんが甲子園」の紹介をしたら、早速「各都市がインターネットで参加したらどうか」の提案が出されました。「世界まんが甲子園」も夢じゃないぞね!オオ、トレビヤン。

ベルギーでは、出版物の五割、輸出出版物の八割は漫画とか。漫画都市・高知もがんばらなくては。ウイッ。
(2003・3)
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感動した!

今、消防出初め式がおもしろい。

2年前まで、寒風吹きすさぶ中での、一般市民の観客もない出初め式でした。せっかく頑張っている姿を多くの市民に見ていただきたい、防災意識も高めることにつなげたい。そんな思いで、昨年から「くろしおアリーナ」の屋内で実施です。消防音楽隊、消防女性コーラス隊の演奏に加えて、みんな大好きなもち投げ。人集めには、これが一番。どこから聞きつけるのか、こじゃんと集まりました。

今年は、新たに古式はしご操法(はしご乗り)と女性消防隊によるポンプ操法が初登場でした。はしご乗りは、梼原町のご指導をいただき猛練習、初披露でした。すごい!はしごを立てるのも、支えるのも、倒すのも手ではなく、とび(棒の先にかぎをつけた火消し道具)でひっかけるんです。それが手のように自由自在。はしごも7メートル。高いです。両手両足をはしごから離して「ハッ」。ドッと万雷の拍手。息が合っていないとできません。学生時代、体操部で、鉄棒が得意だった私としては、「やってみたい!」という気持ちに駆られましたが、きっと「市長,おやめ下さい」と止めるろうねえ。木遣り歌の音楽を背景に、実に江戸情緒たっぷり、まさに「スローライフ」でした。

女性消防隊のポンプ操法もびっくりでした。「ただいまからポンプ操法始めまっす!」タタタ・・ピシッ「番号!」「はじめっ」実にキビキビとした動き、号令。沢山の男性消防団員も目を丸くして、「こりゃ、すごい。恐れ入った。負けられんぜよ。」今年の全国女性操法大会での活躍が期待されます。

今年は、自治体消防発足55周年。日夜、災害から地域を守るためにこんなに頑張っている消防団員。感謝しつつ頼もしい思いでした。思わず「感動した!」
(2003・1)
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不思議なパワー

よさこい高知国体夏季大会、秋季大会、よさこいピック高知と、長い間多くの市民・県民がこの日のために取り組んできた大会も、おかげさまで大成功のうちに終えることができました。「市民総参加の感動国体」めざしてのひとりひとやく運動に参加され、大会を支え、盛り上げていただいたボランティアの皆様に心から感謝申し上げます。

ひとりひとやく運動のPRビデオの中のインタビューに「せっかく全国からおいでるんじゃから、わしも何かせんといかんろうと思うてね」「何もできんけんど、お花つくるがあは好きやき、参加したがよ」と答える地域ボランティアの方のすてきな笑顔が印象的でした。

一面、目を見張るようなコスモス畑の中でユニフォーム姿の選手がはしゃぎながらカメラに向かってピース。あのすごいコスモスをこれからも秋の高知の名物にしたら・・と期待する声も。
「きょうは高知県人を忘れて、うちの民泊のチームをこじゃんと応援するき、悪う思わんとって」と他府県チームを熱烈応援。試合が終わっての民泊お別れ会では、「高知に来て、これを食べさせずに帰してたまるか」と、まぐろ、かつおの山。さすが88カ所癒しの国、お接待のこころが大いに発揮されました。

「地元の応援で、確かに不思議なパワーが出たんです」 入賞した地元選手が目を輝かせて言っていました。

「ひとりひとやくで、なにか地域に一体感ができてきた」「地域のことに初めて参加した。仲間ができて楽しかった」この喜びを今度は「まちづくりのためのひとりひとやく運動」に、途切れることなく、つなげたいものです。

得点に表し難い計り知れない「不思議なパワー」を得た感動国体でした。
(2002・12)
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健康握手

先輩政治家の教えは、「握手をするときは、じっと相手の顔を見て、力強くギュッと握ること」でした。しかし、特に若い女性の場合は、ギュッと握ると顔をしかめる人が多いのに気づきました。どうしたものかと試行錯誤しているうちに、結局、相手の握る強さに呼応して、握ってきた強さに少し上乗せしたくらいの強さで握り返すのが、手で対話しているようで、にっこり笑顔が返ってくる場合が多いことを経験的に悟りました。「ギュッ」ときたら「ギュギュッ」、「ふにゃ」ときたら「ふんにゃっ」という要領。

手の感触、握り方で、だいたいの年齢もつかめるようになりました。概して、「ふにゃ」は20代、「キュッ」は30代、「ギュッ」は40代から50代前半、高齢になるとほとんど手を差し出すだけという感じです。

握手は素直にその人の心を表します。握手をしながら、年齢と握手の力の強さのバランス、顔の表情で、心が透けて見える気がするのが不思議です。特に感激するのは、両手を持ってギュッと握り、にこにこしながら「がんばってよ!応援しゆうきね!」と手をはげしく振り回して離さないタイプ。これって、まっこと元気が出るがやき。
 
100人以上の集会で全員と握手をすると、終わっても、たいてい笑顔がひきつってすぐにもとに戻らんがです。そういうときは、翌日は、握手のせいで腕の筋肉痛。

しばらくそういう毎日を送っていると、ハードな日程でも妙に元気です。経験的・疫学的自己分析によると、どうも握手をするたび、手の平のツボが適度に刺激を受けて全身の神経を活性化させているにかあらんという結論に達しました。

たかが握手、されど握手。握手とあいさつで、心も体もまちも、明るく元気になります。
(2002・11)
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まちづくりひとりひとやく

お盆に久しぶりに実家に帰って親孝行をしてきました。90歳の父と85歳の母。顔をくしゃくしゃにして喜んでくれましたが、父は「いいところに帰ってきた。畑の草刈りに行こう」ということで、駆り出されてしまいました。夕方の日が陰ってからでしたが、汗はだくだく、蚊がぶんぶん。こちらの方が先にちゃがまってしまいましたが、平気で、黙々と草を刈りゆう父の後ろ姿が、大きな存在感を持って、「これが明治生まれのパワーじゃ。市政運営に苦労もあろうが、がんばりよ」と言いゆうようで、いつになっても親は子の心を見透かし、態度で、教えてくれゆうがやねえと感謝。

私も、家庭では、自らの存在感を発揮することに喜びを感じています。朝起きたら「おはよう!」と家族に声をかけ歩きます。(高校時代、寮に入っていて、朝、大声で各部屋のみんなを起こし歩く起床係でした。)夜寝るときも「おやすみなさい!」です。炊事はどうも苦手ですが、後かたづけの皿洗いは、得意です。掃除も好きで、毎日曜は、家中をピッカピッカに大掃除です。どうも空き缶拾い病、トイレ磨き病の後遺症らしく、磨き上げることに喜びを覚え、心もすっきりさわやかになるのです。こんな私の行動が妻の笑顔を呼び、「お父さん、がんばっちゅうね。私もがんばらないかんがやね」ということになる・・はずです。

ひとりひとやく運動で、感動を分かち合ったよさこい高知国体夏季大会でしたが、次は、秋季大会。東部地域の皆さんの汗の結晶である34ヘクタールの日本一のコスモス畑が、きっと全国からの選手の皆さんの度肝を抜きます。「人の喜びは自分の喜び」です。国体の後は、まちづくりのために、ひとりひとやくで、自らの存在感を表したいものですね。
(2002・10)
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一緒にやろうや

「まちづくり一緒にやろうや条例」??こんな名称の条例は初めて。しかも前文が、「何でまちづくりするが? みんなぁにとって、『のうがえいまち』にしたいき・・市民どうし、市民と行政がうまいことつながったらえいねぇ みんなぁでまちづくりができるようになったらえいと想わん? ほんで この条例を、きおうてつくったがよ どう!?」

なんつうこと。こんな条例見たことないよねえ。方言がこんなに入った条例、全国でも聞いたことありません。でも、すごっく親しみやすいと想わん?。行政が原案を作るとこんなことは思いもよりません。内容的にも、「見守り委員会」の設置など、高知にしかない高知らしさがいっぱい表現された見事な21世紀型条例案です。

「市民と行政のパートナーシップのまちづくり条例」というのが、もともとの仮りの本名(?)でした。昨年6月、「自助、共助、公助のまちづくり」の具体化のため、市民も行政も一緒になってまちづくりをするための仕組みづくりの基本となる条例をつくろうではないかということで、まちづくり活動に取り組んでいる市民委員と行政委員とで構成する「策定委員会」に条例案づくりをお願いしました。その結果、まとまった提言が、今回の条例案です。行政の結果だけでなくそこに至る過程のあり方を大切にする「行政プロセス構造改革」のモデルケースとして、今回は、ワークショップ方式で「条例とは何ものか?」から始めて、シンポジウム、電子会議室などまさに市民と行政のパートナーシップによる19回に及ぶ楽しい条例案づくりでした。地域のみんなで育てていく条例は、地域のことばで表現するのが自然かもしれません。全国初の龍馬的発想で、時代をリードするのは、土佐の役割なが。どう!? 
(2002・9)
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市歌を歌おう!

「♪くーろしおのー たぎるー荒磯にー・・・雄々し たくまし われらーの高知 」

高知市歌を聞いたことありますか。昭和23年に制定された歌です。戦災、震災に打ちひしがれ、その復興のさなか、新しい地方自治制度施行に伴い、市民公募で決まった歌だそうです。

曲想は、「さっそうと楽しく」とあるように、実に軽快・さわやかで、今の元気都市・高知にぴったし。この市歌は、市長表彰式典など主な高知市主催の式典で歌われるのはもちろん、市議会の開始チャイムでも奏でられ、多くのコーラスグループの定期演奏会の冒頭でよく歌っていただいています。はりまや橋のからくり時計の人形が出そろって収納されるときに、この市歌のメロディが流れます。

最近、いろいろな集会や宴会で、私が市歌の歌唱指導をさせていただくことがあります。アカペラで、「せえの!」で始まり、「じゃんじゃん!」で終わります。うんと盛り上がるきね。われらが市歌が今、静かなブームになりつつあります。覚えちょくと何か得した気分になるぞね。

この「市歌をみんなで歌いましょう」という運動に併せて、「あいさつ運動」も展開しています。「おはよう!」「こんにちは!」の声が飛び交うまちは明るさと活気に満ちています。学校、職場、地域で、まずは家庭から、朝起きて家族の間で「おはよう!」やりゆうろうか。

そして、宴会では、「土佐酒で乾杯!運動」です。土佐の「お客」は、やっぱり県内で丹誠込めて造られた土佐酒で杯を飲み干すことから始めたいですね。

「鏡川を清潔なまちのシンボルにしましょう」の市民憲章運動と併せ、実践してみませんか。きっと心が、まちが輝きます。
(2002・8)
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先の先を見る

シネマ・コンプレックス問題では、まっこと夜も眠れない日が続きました。というより、シネコンが襲ってくる夢まで見ました。「シネコンで映画を見たい。自由競争じゃないか。」、「映画館が消える。中心街がさびれる。」の厳しい両論ある中で、どちらを選ぶべきかハムレットの心境でした。龍馬だったらどうする。高知のまちにとって、高知市民にとって、どちらが適切な判断か。両方の立場を満足させる方法はないのか。いやいや中途半端は・・。

結局、都市のあり方という観点から「先の先を見て」、「不許可」の判断をしました。それは、立地規制のある場所での特例立地を認めなかったもので、シネコンそのものを否定しているものではありません。現在でも立地に規制のない中心街等なら自由です。

確かに、シネコンは、映画の魅力を高めるための時代の流れです。しかし、郊外型シネコンができたがために、既存映画館が弘前市では、5館が0館に、金沢市では、13館が3館に、富山市では、10館が4館に減り、中心街の衰退を招いています。こうした轍を踏みたくない。

さらに、最近は、千葉市、浜松市等のように、従来の郊外型シネコンが中心部の再開発とも関連して中心街立地型に変化を示しています。これらの状況をみると、今や他都市追随ではなく、先の先を見て、既存館共同による公共交通利用型シネコンの中心街立地も夢ではないと思います。

築城400年、お城をシンボルに発展をしてきた高知の顔・城下町のにぎわいを回復し、都市構造バランスのとれた「新土佐の城下町づくり」にみんなで取り組みたいのです。

最近刊行の「人間回復の経済学」(神野直彦東大教授著)では、こうした高知市の判断を「人間の生活空間としての都市再生の息吹」として評され、「目からうろこ」です。
(2002・7)
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詩のボクシング

「詩のボクシング高知大会」??。

私も初めて見せていただきましたが、実は、リング上で二人がそれぞれ自作の詩を朗読し、どれだけ観客をひきつけたかで勝敗を争うもので、日本では数年前から各地で行われており、昨年は全国大会も実施されたそうです。初めての高知大会でしたが、制限時間三分間で、暗唱した詩を身振り手振りで切々と訴える人、ゴングがなるまで一気に早口で長ーい詩を朗読する人、ギャグっぽい明るい詩、つらく切ない詩、夢とロマンのメルヘンポエム、リング上で歩き回ったりしゃがんだり大声で叫ぶ人、蝶や牛になりきった人、表情豊かに意味不明の声を発しただけの人。

「目がかゆい,鼻がかゆい、のどがかゆい、鼻水がたれる、ああどうしてこんなに私ばかり襲ってくるのか・・」と花粉症の苦しみを実感込めて詩的に訴える人・・笑い転げて涙が出てしまいました。

いやあ、まっことすごい。これぞ詩のボクシング。

審査員を頼まれ、事前の打ち合わせで、「顔とかスタイルで選ばないで下さい。詩がどれだけ自分に届いたかで判断して下さい。」やと。納得。私は、本当は審査員役は嫌なが。どっちかに札を上げるがあは、絶対一方の人に恨まれるに決まっちゅう。案の条、出場の詩人ボクサーは、熱演の後、祈るように七人の審査員をみつめ、負けがわかるとがっかりした顔で、札を上げてくれんかった審査員の顔をうらめしげに見て退場するがやき。

圧巻は、決勝戦の即興詩。その場でくじでテーマを与えられ、即興で詩を詠む。「希望」のテーマを与えられ、「希望、あー何を言えばいいのか、希望、これでは希望はない・・」苦しみながら三分間を悶絶する。激戦を勝ち抜いて優勝したのは、なんと15歳の男子中学生、迫力ある末恐ろしい(?)演技派でした。

学校でやってみると、きっと意外な発見がありそうです。人に心を伝えることの難しさ、楽しさを学んだ感動のひとときでした。
(2002・6)
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フクちゃん蘇る

「フクちゃん」は、本名福山福一、「おじいさん」の名は、福山福太郎でフクちゃんの叔父さんですが、フクちゃんはその養子になったのだそうです。フクちゃんの「おとうさん」は、香港で隆漫福と名乗り、大金持ち。こんなこと知っちょったが?フクちゃんは、あどけない顔して、結構複雑な身の上なんやねえ。

フクちゃんが初めてまんがに登場したのは、昭和11年、横山隆一先生の連載まんが「江戸っ子健ちゃん」の中で主人公の坊ちゃん刈りの八歳の健ちゃんのいじめられ役。しかし、その天衣無縫さで人気が出て、「養子のフクちゃん」「フクちゃん」とタイトルも変わり、たちまち主人公に。昭和46年まで戦前戦後を通じて人々の心を和ませ、勇気づけてきた国民的ヒーローでした。「フクちゃんの登場人物は、おじいさんもフクちゃんもキヨちゃんもみんなモデルはボクなんだよ」と隆一先生が後年語っています。

フクちゃん通りは、子どもの遊ぶ声やお母さんの呼ぶ声、犬のほえる声のするほのぼのにぎやかな下町風景。耳をすまして聞いてみて下さい。のぞき穴は全部のぞいて下さい。引き出しは全部開けてみて下さい。思わず「わはは」と笑うもの満載です。

目玉モニュメント「魚々タワー」は、隆一先生デザインによる330匹の和紙の魚。毎正時、楽しい音楽に合わせて動き出します。床には、「土佐の主役は、魚ぜよ。オラもオンシもまだ見た事がない海のお祭り 隆一」

アトリエ、あずまや、ホームバー、鉄道模型、川端康成さんの胆石ほかの珍品コレクション・・そのすべてが鎌倉からそっくり「かるぽーと」の「横山隆一記念まんが館」に移設再現されました。フクちゃんが蘇ったのです。ユーモア土佐人、人生の達人、横山隆一先生に会えますよ。
(2002・5)
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まんが バンザイ!

フランス国立まんが館のあるアングレーム市を訪問しました。アングレーム市は、パリから新幹線で南へ約二時間半、人口約5万人、中世そのままの街並みの残っている都市です。紙と石灰岩の産地というのが高知とそっくり。紙産業がまんが産業に発展していったというからおもしろいですねえ。ちょうど有名な「国際まんがフェスティバル」の開催中で、町中にまんがと若者があふれ、4日間で約20万人の入り込みとか。まんがのバナーや壁画が楽しいまんがの世界に招いてくれます。教会のそばの天使のモニュメントの影が、向かい側にある石造りの建物の壁に写っちゅう。よく見ると、実は影は壁画。まんがぞね。

国立まんが館には、世界のまんがが収集されており、日本の「ドラえもん」「ドラゴンボール」などの日本語版、フランス語版が全巻ずらっと並んじゅう。「まんが」という日本語はそのままフランスでも通じるのにはびっくり。まんが専科の高校もあるとか。楽しいろうねえ。

アングレーム市役所は、丘の上の12世紀の古城をそのまま使っています。アングレーム市長の名前は「モテ」さん、ちょっぴり悔しいけど、三八歳のいかにもモテそうなハンサム青年。案内された会議室にモテ市長を囲んで勢揃いした人達は、なんと12人の助役。弁護士、銀行員・・いろんな職種の人達だとか。うらやましい。モテ市長のさわやかな歓迎のご挨拶の締めくくりは、きれいな日本語で「まんが バンザイ!」。私も返礼のご挨拶は、負けずに、「ボンジュール」で始まり、「まんが バンザイ!」で終えると、どっと笑いでなごやかな交歓会でした。

4月7日いよいよ文化プラザ「かるぽーと」、横山隆一記念まんが館のオープンです。オープン行事にはフランスからはるばるモテ市長が来高されます。まんがによるまちおこしとともに、まんがを通じた国際交流の始まりです。飛行機のきらいな横山隆一先生でしたが、フクちゃんも空を飛ぶ時がきました。
(2002・4)
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脱藩ゆかりの道

1862年(文久2年)3月24日龍馬脱藩から140年めを記念して、脱藩の道沿線の12市町村の代表による「龍馬がつなぐ市町村サミット」が行われました。
「龍馬公園、龍馬神社をつくった。龍馬のお守りが大好評でおふだもつくる。来春は『ツールド龍馬』」(佐川町)

「龍馬の幼友達、藤田栄馬の妹が龍馬を須崎で見かけたと証言しており、龍馬は須崎も通ったはず。」(須崎市)

「龍馬の気持ちになれる『脱藩の道健康ウオーク葉山街道』を毎年やっている。」(葉山村)

「龍馬は、3月25日梼原に到着し、その夜梼原の勤王の志士那須俊平・信吾父子の家に泊まり、翌朝那須の案内で韮ケ峠を越えて伊予の国に脱藩した。迫力あふれる維新の群像を造った。」(檮原町)

「龍馬は村内を確かに15キロメートル歩いている。そのことを記念して『龍馬脱藩の日記念館』と龍馬の銅像を造った。毎年『わらじで歩こう脱藩の道』を開催している。」(愛媛県河辺村)

「大洲藩は鉄砲を買いに行ったのに龍馬にいろは丸を買わされ、その船を龍馬に貸したら、紀州藩の船に衝突沈没させられた。7万両の補償金を龍馬が受け取った8日後、龍馬は暗殺され、大洲藩はもらってない。大洲藩は見事に龍馬にだまされた。目一杯龍馬を活用して取り戻しちゃる。」(大洲市)

「何時間か通過しただけで、こんなにわしの名前を使うかや。迷惑かけたき、大いにかせいでとうせ。」(龍馬)

出会いの達人・龍馬のお引き合わせで、笑いと感動のサミットでした。「龍馬脱藩ゆかりの道」が、88カ所「いやしの道」のように、「日本を洗濯する」気持ちになりたい龍馬人でにぎわう日も近いでしょう。 
(2002・3)
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フクちゃん永遠に

小雨のそぼ降る寒い鎌倉でした。高知市名誉市民でもあり、漫画界の大御所横山隆一さんの葬儀には、各界の著名人で長い列が絶えませんでした。

参列者を代表してのお別れの言葉は、共に漫画集団の創設に尽力された、無二の親友の杉浦幸雄さん。「隆一君、逝っちゃったのか…。寂しいねえ…。君は漫画界のピカソだ。でも天才だった君の、フクちゃんをかくときのあの努力はすごかった。君は死なない、死ぬはずがないと思ってたのに…。きっと奥さんが杉浦の話はもういいから早くおいでよと迎えに来てるんだろうねえ」。そこに横山さんがいるかのように、優しく語り掛ける杉浦さんの言葉に思わず涙があふれ出てしまいました。

菊の花に包まれた横山さんの遺影は、腕組みをして斜に構えて「どうや、こんな人生送ってみいや」と得意げでした。今にも祭壇の裏から「へへへ、冗談だよっ。僕がいなくなったらだれが悲しんでくれるか、ちょっと死んだふりをしてみたくなってね」と照れ笑いをしている横山さんがひょっこり顔をのぞかせるのではないか、きっと横山さんならやりかねんぜよ、と本気で思ってしまいました。

5月に良き伴侶の澄さんを亡くされ、寂しそうにしておられましたが、葬儀の後、横山さんからいただいた自筆の礼状がすごく温かくて、机の上にずっと飾っています。  「すみは みなさんのおかげで とってもしあわせな一生でした ありがとう ございました 隆一」その後を追うように 逝ってしまうなんて、優しすぎる。

来年4月の『横山隆一記念まんが館』開館を目前にしながら、見ていただけなかったのが残念でなりません。楽しみにしておられたのに。でも、まんが館開館とともに、あのいたずらっぽい笑顔の横山さんとフクちゃんがよみがえります。 
(2001・12)

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心の構造改革

龍馬は、幼少の頃「よばれたれ」と言われ、14歳くらいまでおねしょが抜けきれなかったとか(異説あり)、親せきの武市半平太の家に行ってはよく庭の隅で立ち小便をしてたしなめられていたというから、どうも龍馬はトイレにこだわりがなさそう。しかし、「日本を今一度洗濯いたし申し候」(文久3年6月29日乙女姉やんあての手紙)というから、洗濯や掃除には興味があったのかもしれません。…日本を美しくする会掃除に学ぶ会第二回全国大会in高知龍馬大会でのシンポジウムで、せっかく龍馬大会というからには、何かトイレ掃除と龍馬の関係はないものかとこじつけ、ご披露してみました。大会には1500人の人たちが参加し、高知の街にトイレ掃除旋風が起こりました。

「トイレ掃除を先生も生徒も保護者も一緒に取り組むようになって、先生が変わり、親が変わり、生徒が変わり、学校が変わりました」「学校の壁やガラスを壊していた子どもたちが、トイレ掃除への参加を褒めたら翌日から『校内修理隊』として活躍するようになりました」  シンポジウムでの事例発表は驚きの連続。先生も保護者も子どもたちも「便器に向かって頑張りゆう」互いの姿が励みとなり、感動とさわやかな達成感に包まれるのです。

今回わたしが担当した便器は、こじゃんと臭いがきつく、思わず「ウッ」。「こりゃあ、やりがいがあるぜよ、よーし」とむきになって格闘しましたが、結局、塊を残して時間切れ。後ろ髪を引かれる思いで便器を後にしました。この悔しさをばねに次へのファイトがむらむらわき上がります。

たかがトイレ掃除、されどトイレ掃除。「エーッ」と言わず、まず「自分で自分を褒めてやりたい」と言える体験を子どもたちと一緒にしてみませんか。心の壁を乗り越え、新しい気付きが得られる自分自身の心の構造改革です。
(2001・11)

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ゴボレンジャー

「ゴボレンジャー」?実は、これ、ごぼう入りかまぼこ。清酒「萬画蔵」。いずれも宮城県石巻市の名産です。

石巻市は、このところの漁業不振による人口減、郊外大型店進出等で衰退しつつある商店街振興の起爆剤にと、最近、宮城県出身の今は亡き石ノ森章太郎のキャラクター満載の「石ノ森萬画館」をオープンするなど、「マンガを生かした夢のある街づくり」をテーマとして、商店街を中心にまちおこしに取り組んでいます。この「ゴボレンジャー」こそ、石ノ森漫画のヒットキャラクター「ゴレンジャー」をもじってヒットを狙ったものなのです。

先日、そうしたユニークな街づくりをぜひこの目でと思い石巻市に行ってきました。街に入るなり、「サイボーグ009」「仮面ライダー」「ロボコン」など懐かしい石ノ森漫画キャラクター像や、店々の外壁やシャッターの漫画ペインティングが商店街の辻々で迎えてくれます。

「石ノ森萬画館」は、宇宙船のデザイン。キャラクターからくり時計、ロッカーやエレベーターまで漫画、漫画、漫画。スタッフは、キャラクターコスチューム。エレベーターの中から廊下にかけて、仮面ライダーの靴跡が点々。床を踏むとサイクロン号の音がしたり、あのショッカーの「シェー」の叫び声(私より上の世代の方には、「何のこっちゃ」かも)。立場を忘れて、つい「サイボーグ009」の背中に乗って漫画の世界を飛んでしまいました。

石巻市広報紙の毎月の表紙絵は石ノ森漫画、漫画郷土読本の作成…徹底した漫画による明るく楽しいまちおこしに、まっこと、えいヒントを頂きました。

来年4月には、いよいよ横山隆一記念まんが館がオープンします。「龍馬とよさこいと漫画のまち」、その共通項は「自由」。さあ、漫画王国・高知の始動です。
 (2001・10)
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よさこいキャンドルサービススス

よさこい祭りの大好きなよさこい市長は、今年はとうとう六チームに出場してしまいました(もう限界)。

本年のよさこい祭りには、例年の米子市長のほか、札幌市長、和歌山市長も視察に来られました。よさこい外交ができるのもうれしいことです。よさこいソーランの地元札幌市長が元祖よさこいをご覧になっての言。「鳴子の音がビシビシ決まっている。これが鳴子踊りの神髄なんですね」「流れの中で踊りを見せている。踊り子一人ひとりの顔、表情がよく見える。これがストリート踊りの良さなんですねえ」「笛、太鼓や三味線、小気味いい和風の音楽。伝統の厚み、わくわくする祭りの明るさを感じますね」「競演場のお世話をしておられる地域の方々が生き生きしている。老若男女、街全体で祭りを盛り上げ、楽しんでいる。よさこい祭りの原点、元祖の元祖たる風格を感じました。いやあ、感動です」。…よくぞ気が付いてくれました。進化する生きているよさこいも、こうした温故知新こそ誇るべき原点の魅力です。まだまだ負けやせんきね。

高知で生まれたよさこい文化が成長、進化し、全国に飛び火して、「キャンドルサービス」のように、日本各地の元気を呼び起こしています。本年は、島根県平田市の小学生が修学旅行としてよさこいチームに参加しました。日韓合同チームも素晴らしい踊りを披露してくれました。姉妹都市インドネシアのスラバヤ市役所からの派遣職員も、「帰ったらインストラクターになってよさこいチームをつくりたい」と市役所チームで一生懸命頑張りました。よさこいの魅力、感染力は、国を超えて人類共通のものだと納得。十年前夢だった「日本の祭り」の地位がほぼ築かれた今、めざすは「世界の祭り・よさこい」「よさこい世界大会」です。よーし、来年もこじゃんと頑張ろう!
(2001・9)
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体験学習のすすめ  

ことしも五台山小学校の子どもたちと田植えを体験しました。ズボズボと足がめり込む田んぼの泥の感触が何とも言えません。子どもたちはもう、ひざの上まで泥の中に埋まり、叫び声を上げながらはしゃぐうちに、何人かは足を取られてお尻からドッシーンと泥の中へ。顔も体も泥まみれになりながら、でも楽しそうに苗を植えます。真っすぐ植えたつもりでも、なぜかねじれてしまいます。一緒に参加したわが早乙女(妻です)は、毎年のどろんこ祭りの田植えのベテランだけあって、手慣れたものです。固まった腰を伸ばしながら手植えをした残りの苗は、田植え機でアッという間にきれいに植えられてしまい、近代機械文明の驚異に、アレアレとみんなあっけにとられていました。

それから3日間は、しわや爪の周りが黒くなったたくましいお百姓さんの手になり、何だか誇らしい気持ちでした。  田植えの後のご近所の皆さんの心尽くしのおにぎりのおいしさは、最高。子どもたちにとっても一生忘れられない農作業の苦労と喜びです。秋の稲刈りが今から楽しみです。

何日か後、市役所にも体験学習で朝倉中学校の生徒三人が来てくれました。「市長と名刺交換がしたかったんです」と、手作りのかわいい名刺を差し出したときの目がきらきら輝いていました。私の仕事ぶりもそばについて体験してくれました。たくさんの要望を受ける私の姿を傍らで見ていた生徒がぽつりと言いました。「あの人たちはどうして自分たちでもっと頑張ろうとせんがやろう」。

「僕は、将来政治家になるつもりやけんど、市長さんは、高知市をどんなまちにしたいと思いゆうがですか」(おおっ、手ごわそう)「からくり時計を宝くじの収益で造ったと聞いたき、早速、小遣いで宝くじを初めて三枚買うたがです」(えらいっ)、頼もしい生徒たちです。
(2001・8)
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さわやかな感動

来年のよさこい高知国体を控えて、いよいよリハーサル大会の始まり。皮切りは全日本勤労者弓道選手権大会。室内の仮設弓道場でしたが、好評でほっとしました。木の香りのする真新しいひのきの県産間伐材の床はぴかぴかで、つい関係者に「滑るということはないがですか?」と尋ねてしまいましたが、即座に「股を内側にぎゅっと締めて立てば大丈夫。滑るようでは未熟者。そんな選手はこの大会にはいません」ときっぱり。的を狙えば観客席が目に入り、窓からは日の光。素人目には気が散るのではと気になって「観客席の場所は大丈夫ですか?窓の日差しはまぶしくないがですか?」と尋ねると「精神を集中すればそんなことは気になりません」…まっこと失礼しました。そうなんです。各県代表の精鋭ぞろいですから、そんな心配にようばんハイレベルの大会なのです。次々と放たれる矢、「バシッ」静寂の中、小気味いい的中の音の響き。さわやかな感動でした。

会場周辺では地域のボランティアの心のこもった湯茶サービス、「がんばってね!」「応援しゆうきね」選手の皆さんも緊張をほぐした表情…これぞ国体のもてなし。

ソフトテニスのリハーサル大会は、全国実業団大会ですが、高知県内に実業団のチームがないというではありませんか。せっかくの全国の精鋭が集まる大会に地元チームがないとは…。そこで急きょ高知市役所チームを編成しました。しかも選手団には全国大会経験者の富山市役所と北見市役所からの派遣職員も参加しての強豪(?)チームです。スポーツ日本一運動のけん引役としてわが市役所チームも頑張っちゅうがやき、応援して下さいね。  よさこい高知国体まであと四百五十日を切りました。ひとりひとやく運動でいい出会いを楽しんでみませんか。
(2001・7)
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あっぱれ時代絵巻

連休中の高知城時代絵巻、まっこと楽しかったですね。

平成御前試合の審査員として、ステージのそでで待機していると、同じ審査員になんとあのチャーリー浜さんがいるじゃあーりませんか。出演前、スタッフが「もうすぐ出番です」と声が掛かると、舞台裏に急に緊張が走る。すかさず、浜さんが「ホーホケキョ」。途端にみんな「プッ」と吹き出し、リラックス。ウーンこれは使えそう。

龍馬コンテストの審査員の際には、模範演技とかで、万歩計を腰と竹刀の先に付けて数を競うゲームで、ついむきになってしまって、舞台上をこじゃんと走り回り、ダレた。

藩政時代を再現した城下町ゾーンでは、昔の町並みの中を、龍馬や町人、虚無僧が歩いていたり、風鈴売りの声、頼りない亭主の話題にかしましい下町井戸端会議風景、かごめかごめで遊ぶ子どもたち、人だかりはガマの油売り、突然大声で勤皇の志士を追い掛ける見廻組、屋根になぜか忍者、寺子屋では紙芝居…。テレビの時代劇で見るそのまんまの場面にタイムスリップして、町行く人たちは、どきどきはらはら、思わずニコニコ。私も山内一豊公にふんし、すっかりその気になって、にぎわうお城下をキョロキョロ歩いていると、たちまち町娘らが「きゃー、市長でしょ、殿、一緒に写真撮ってぇ」と来る。「苦しゅうない、にかっ」で、「ピース」。  町の随所で展開されたボランティア役者七十人の迫真の演技は、「見事じゃ。あっぱれ、あっぱれ」。

明るく開けっ広げな庶民の暮らし、何かホッとする心のふるさとを感じました。このほのぼのとした中でのにぎわいを今に伝えるのは、何といっても、高知の誇る日本一の日曜市です。高知城築城四百年の本年、土佐の城下町のにぎわいを、さらに新土曜市の実現で伝承したいものです。
(2001・6)
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夢を乗せたからくり時計

上町五丁目の電車通り北側にあった旧城西振興市場の通りが生まれ変わりました。

「市長さん、バラバラになる市場の人たちがまた集まれる昔のような笑顔とにぎわいのある通りにして下さい」「通りには、花壇、ベンチ、からくり時計を作って」

第四小学校の子どもたちから、こんなかわいい陳情を受けたのが一昨年の7月。子どもたちが地域の歴史を学ぶうち、市場がなくなるのを聞き付け、市場の人たちがバラバラになってしまうことを心配しての提案でした。

花壇やベンチは「よっしゃ、よっしゃ」でしたが、さすがに、お金の掛かるからくり時計は、財源のめどが立たなかったため、おいそれとはいかないもんで、その時は「少し研究させて下さい…ムニャムニャ」。  子どもたちの地域を思う心を大切にしたい、ロマンあふれる夢をかなえてやりたい。そんな思いが通じて、はりまや橋のからくり時計同様、とうとう宝くじの収益を財源とする宝くじ協会からの助成を受けることができました。宝くじをお買い上げの皆さんありがとう!

からくり時計のデザインも子どもたちが選びました。からくりで動くメリーゴーラウンドは、市場で売られていた大根、メロン、マグロ、花に乗った家族、そして鯨に乗った龍馬…メルヘンやねえ、こじゃんとりぐっちゅう。  奏でる音楽は、子どもたちの作詞作曲「龍馬の夢」。歌っている声も子どもたちです。「大人になった 龍馬は 悩みだす これからの 日本を どうするか…」

何もかも子どもたち主導の道路整備。からくり時計を見る子どもたちも地域の大人たちも、きらきら輝いていました。行政は、結果ももちろん、「そこに至るプロセスが大切ながで」と、子どもたちが教えてくれました。
(2001・5)
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三がいくつ?

インターネットで「地球33番地」を検索すると、結構いろいろなホームページが出てきます。その中の一つに、「地球33番地通りという通りが高知にある。…何の変哲もない通りである」と書いてあるのが悔しいやいか。赤道を通過して「なあんや、赤い道なんかどこにもないじゃいか」と言うようなコメントに近いが、変哲も必要かも。

平成13年巳(ミ)年3月3日、恒例の地球33番地記念式典が行われました。ご存じ東経133度33分33秒、北緯33度33分のポイントです。

このように同じ数字の並ぶ地点は、地球広しと言えども陸上には9カ所(ほかにアフリカ4、ロシア2、スマトラ半島1、オーストラリア1)のみ。ちなみに東経144度44分44秒、北緯44度44分44秒は、網走の北北東約80キロメートルの海上。高知市と同じ北緯33度線上の都市は、福岡市、ダマスカス(シリア)、バグダッド(イラク)、カサブランカ(モロッコ)など。

地球33番地は、江ノ口川一文橋のそばの川の中にあるポイントゆえに、河川浄化のシンボル・地球環境保全の発信地です。その日も式典前に三十三分間清掃。サン加した皆サン、サンキュー。今年も133度線仲間の米子市役所から車で三海二山を越え、3時間30分で駆け付けてくれました。京都から来られた女性は、「3が大好きで大阪空港から33分でサン加しました。昭和23年3月3日生まれの53歳、三姉妹で孫も3人、父は八百屋で店名は八百三、叔母は大阪の十三に住んでいます」と実に楽しい3ずくし。こんな遊び心のある人もいるんですねえ。

地球33番地の風景入りスタンプを発行していただいた宝永町郵便局長さんは三谷サン。さあ、いったい3がなんぼばああったろうねぇ。しっかり数えた人にサン辞。
(2001・4)
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ビタミンI(愛)

「なっ豆は 豆と豆とが つな引きだ」

「おかあさん いっつもいうよ のこしたらいかん」

先日の学校給食展での優秀標語です。その日は、子どもたちと長〜いのり巻も作りました。ちくとはげはげで、太くなったり細くなったり変化に富んだくねくね長大のり巻の完成に、かわいい歓声。わたしは残念ながら炊事が苦手ですが、前掛け姿ののり巻作りで、ちょっぴり炊事の喜びを味わいました。あなたは「三ジ(掃除・育児・炊事)のあなた」になれますか。

「あなたは毎日朝食を食べていますか」の問いに、市内中学生の14%は、全くまたはほとんど食べないとの答えです。昼食では弁当を持ってこない子、週一、二回程度しか持ってこない子が12%(市教委調べ)。体は食べ物からつくられます。どんな食べ物をどんなバランスで食べるかで健康が左右されます。青少年のいろいろな問題も幼児期からの食生活と深いかかわりがあります。食卓のぬくもりが家族のきずなを育てます。だんらんはビタミンI(愛)。

県の保健環境部長時代に、健康対策で取り組んだキャッチコピーは、「がんばりっ子は朝食から」「父さんの健康は減量・減塩・休肝から」「上手に飲んで長生きしよう、酒休2日制」。あらためてその意味をかみしめています。

わたしは、小・中学校ともに給食で育ちました。給食の準備時間は、当番以外はグラウンドで行進です(戦後のことですよ)。食べながら聞く校内放送の音楽や名作の朗読が楽しみでした。おかずのお皿にビタミン剤がコロンと出ていることもありました。大好物は鯨の空揚げ。金属食器が歯に冷んやり。懐かしい思い出です。

すてきな標語をもう一つ。

「おいしかった 給食を母に リクエスト」       
 (2001・3)
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高知城は語る

しょう、まっこと冷かったぜよ。大みそかから元旦にかけての「高知城築城400年祭」オープニングセレモニーは、4500人の参加で高知城二の丸はぎっしり。裃に薄地の着物でしたので、真冬の寒風吹きすさぶ夜空の下しんしんと冷え込んで、体の震えが止まらず歯がカタカタ鳴っていました。そんな中でも、本年九十歳を迎えられる山内豊秋第18代ご当主は、さすがの風格で、泰然として祝いのよさこい節を朗々と歌い上げられたのには感服でした。

7日の全国城下町対抗駅伝大会では、全国15城27チームの参加で、あいにくの小雨の中、なごやかにかつ真剣に競い合いました。なんと優勝はぶっちぎりで高知市役所陸上部、準優勝は広島鯉城A、3位に一豊軍団。「遠来のチームを抜いては申し訳ない。抜くまい抜くまいと思いながらついつい抜いてしもうた、ごめん」とわが市役所チームメンバーの頼もしい言。国体もこの調子でよろしく。

400年を迎えた高知城、身近すぎて案外知られていないこともあります。高知城は、別名鷹城、追手門前に国宝の碑があるように、昭和九年に国宝の指定を受けましたが、昭和25年の法律改正により国重要文化財に指定替えされました。追手門と天守閣がそろっているのは、ほかに弘前城と丸亀城だけ。木造天守閣も全国12城の一つ。現在のものは、一度焼失後1749年に再建され、築後250年。板垣像のそばのセンダンの大木(周囲5.4m、高さ25m)も樹齢250年。戦前には、龍馬像作者で宿毛市出身の本山白雲作による容堂公の銅像がありましたが、昭和19年に金属回収で供出されてしまいました。現在の一豊公、板垣像はいずれも2代目。一豊の妻像は戦後の建立で、題字は板垣像とともに吉田茂によるものなど、など。

われらが高知城をもっともっと知りたいですね。                     
(2001・2)
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メダコイ

升形川に放流する魚はメダカかコイか。招かれた第四小学校の討論会は、子どもたちの熱い真剣な論戦でした。

「コイは色とりどりできれいやん。観光客も喜んでくれるやか」「メダカは水のバロメーターながで。絶滅寸前のメダカがおるゆーだけで観光客もめずらしがるで」
「コイは国魚ながで。コイを見ると、お年寄りの心がなごむと思いまーす」「コイは小さい魚や水草を食べるし、ふんも大きいから環境を汚すと思いまーす」
「龍馬の生家も再現されるし、城下町に似おうちゅうのは、コイですっ」「流れがゆるやかで、水草がある升形川の環境にふさわしいのは、メダカですっ」

だんだん目付きが厳しく、語気も荒くなってきたころ、「それでは、市長さんの意見を聞いてみましょう。市長さんは、メダカですか、コイですか」と先生の声。ギョギョ魚。一斉に両陣営の子どもたちの目がこちらに向く。「お願いっ。こっちを応援して。答えによってはブーイングでえ」という目、目、目。
「皆さんの意見を聞いていて、どちらもいい意見ばかりで驚きました」…うんうんとうなづいてくれている。
「メダカとコイの中間のメダコイという魚がいればいいなと思っています」…どっと笑い。でも、しらー。
「この問題は難しい問題ですので、皆さんの意見も参考にしながら、今後地域の大人の人たちや、専門家の意見も幅広くお聞きして慎重に判断したいと思います」…なあんだ、面白くも何ともない、という顔。まずい。

「もし可能なら何カ所かあるスクリーンの仕切りでコイゾーンとメダカゾーンを作って、両方泳げるようにできたらいいなと思っています」…拍手と歓声にホッ。子どもたちにまちづくりの難しさと原点を教えられました。
(2000・12)
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「ズズ ヂン」と「チンッ」

「コーロリーン レン チンチンチン レン…」
秋の虫の音かなと思わすこの調べ。実は、一弦琴「白鷺」(詩 棟方志功、曲 秋沢久寿栄)の最初の一節の一弦琴独特の弾き方の表現なのです。テレビドラマになった「一弦の琴」(宮尾登美子原作)は、全国に大きな反響を呼び、一弦琴ブームが沸き起こっています。大川筋武家屋敷での県指定無形民俗文化財「正曲一弦琴白鷺会」の一弦琴演奏会では、身近に一弦琴の美しい音色に触れることができ、その上、実際に一弦琴の弾き方まで教えていただきました。

わたしも妻とともに初挑戦しました。わたしは、若かりしころギタリストであり、昨年は三味線の経験もありましたので、自信を持って、人さし指にはめた芦管で弦をはじいてみました。「ズズ ヂン」。ところが、そばの妻がはじく音は、「チンッ」。「こんなはずじゃなかったがやけんど…」と、焦ってしばらく繰り返してはじいてみますが、やっぱりわたしのは「ズズ ヂン」で、妻のは澄んだ力強い「チンッ」。得意気に、にこにこの妻。それからでした。妻は「わたし、一弦琴をやりたい。やるがやき」というわけで、わが家にもあのテレビドラマの苗さんが誕生したのです。花柄の布袋に包んだ一弦琴を抱きかかえ、喜々としていそいそ出掛けて行き、家に帰って来ると「チレチチ コーロリン…」です。

最近、龍馬の兄権平さんも乙女姉やも一弦琴を楽しんでいたということを知り、ひょっとして龍馬も…と思うと、急にわたしも興味を持ち、とりこになりつつあります。

今月11日には、「白鷺会」創立50周年記念大演奏会が催されます。苗さんとともに、流月のような男前(?)の男性奏者がいるかもしれませんよ。「ズズ ヂン」と「チンッ」の弾き比べが見ものです。
  (2000・11)
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「心、技、体」

富山国体夏季大会に選手団団長として参加しました。立山連峰を望む高岡市の県営プールでは、緊張感に満ちた熱戦が展開されました。自己ベストが出せる人、期待されながら不本意な結果に終わってしまう人、さまざまなドラマがあり、「心、技、体」のバランスの重要性を痛感したところです。本県選手が出場すると、こちらまで選手の気持ちが移ってどきどきしてしまいました。この感じは、確かにかつて体験したことのあるどきどきでした。

それは、34年前、大学時代のこと。わたしは、当時オリンピックで大活躍の体操選手にあこがれて、体操部に所属していました。初めての大学対抗試合で、しょっぱなが床運動。しかもマットなしの本当の板の床。「失敗すると痛いやろなあ、嫌やなあ」と思うと、急に心臓が高鳴ったあの時の感じがそれです。当時、まだ「心、技、体」とも未熟者なもんで、固い体が緊張で余計にこっちんこっちん。走り出してまず前方宙返り。どっしんとしりもち。固い板の床にこじゃんと尾底骨を打って「イッテェー」。

それからは、もうハチャメチャで記憶は定かでありませんが、とにかく、演技のフィナーレにピシッと決めるべき後方宙返りが、スタミナ不足で足がダレて、ぜんぜん宙に浮かばずひざ落ち。これがまたひざの皿が割れたかと思うくらいに痛いの痛くないのって。しばらく立ち上がれず、結果は3.5(こんな点数もあるんです。なお、その後成長して7.5を出したこともありますので、念のため)。

山あり谷あり、苦しい試練を耐え抜いてこそ大きな喜びがある。結局は自分との闘い。スポーツはまさに人生の縮図です。国体はそうした人生の極限のぶつかり合いです。よさこい高知国体まで2年。市民総参加の心に残る感動国体とするため、ひとりひとやく運動の輪に参加しましょう。
(2000・10)
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よさこい五変化

「あー今年もとうとうよさこいが終わったがやねえ」
よさこいの夏が終わると、燃え尽きた満足感とともに、ちょっぴり脱力感に似た寂しさがあります。

今年は、欲張って5チームで踊らせていただきました。

まず市役所踊り子隊。あっと驚いた人も多かったでしょう。こだわりの正調を守りつつ、ニューバージョンの振り付けを加えました。47年目にして画期的なことで、練習が大変でした。覚えの早い若い職員に負けじと、やっきになって帰宅後もおさらいの涙ぐましい毎日でした。

次に市民憲章チーム。スピーカーの近くで、耳が壊れそうになりましたが、子どもから高齢者まで、本当に踊るのが好きな人たちばっかり。「自由民健!」を実感しました。

そして高知シニアチーム。最高齢95歳。すごいっ。お色気あふれる(?)はちきんシニアに終始圧倒されました。さすが北海道の人たちを感動させただけあります。いごっそうシニアも負けられんぞね。

更に龍馬連チーム。全国の龍馬ファン大集合。ようまあこれだけ龍馬がそろうたもんよねえ。老けた龍馬、きゃしゃな龍馬、ごっつい龍馬、かわいい女龍馬…。はかまがアッツー。自由でパワフルなよさこいは、龍馬に似合う。

最後はてんてこ舞チーム。障害を乗り越えてこんなに踊れるんです。障害のある人もボランティアも汗びっしょりになって、すっごくいい顔していました。84歳のボランティアも頑張っていました。みんなよさこいが大好き。楽しくて仕方がないのです。暑い中、激しい練習でしたが、みんな明るい笑顔で、お互い励まし合ったり、ほのぼのでした。元気と勇気を、そして大きな感動をありがとう。

よさこい祭りのパワー、センス、交流、感動…祭りが確実にまちを人を変えていっています。すごい力です。
(2000・9)
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子育て王国、宅老王国

先日、保育所を訪問しました。

「せんせーい、変なおんちゃんがきちゅうよー」と子どもたちの歓迎(?)の声。変でないことが分かると、もう「肩車してー」と前から後からぶら下がり、はしゃぐ子どもを抱き上げる目は、すっかり若い父親になっていました。

年長の子が、障害のある子をがらがらであやしている様子がほほ笑ましい。成長の過程で、障害児との触れ合いが自然にできているんですね。

最近、子育て相談に地域のお母さんがよくおいでるそうです。核家族化の中で、企業における育児休業の充実、父親の役割の発揮、子育て支援など、しっかり親子が触れ合う子育てが求められています。

また、宅老所にもお伺いしました。

玄関に入るなり、奥の部屋の方から笑い声が聞こえ、何やら楽しそうです。「家にいてもだれも話し相手もおらんし、死ぬことばっかり考えちょったけんど、ここへ来るようになって、毎日楽しゅうて、楽しゅうて、ごはんもみんなあと一緒に食べられるし、本当に元気になったがです」「歌を何年かぶりに歌うたが。昔はうまかったがやき」。  やまもも、すもも、おもち…。みんなが持ち寄った手作りの食卓でした。

握手攻めにあって、「男の人と手握るの何十年ぶりやろう。若いころを思い出したわあ(笑)」 たちまち、にわかヘルパーさんになってしまい、皆さんの昔話に聞き入ってしまいました。

保育王国の伝統を持つ高知市が、今、「このまちは子育てが楽しいよ」「このまちで年を取ってもいいよ」の合言葉の飛び交うまち、「子育て王国・宅老王国」をめざして頑張っています。
(2000・8)
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